23:39

魔法少女まどかマギカ

…………blogのタイトル部に、題をそのまま記載するには、中々インパクトあるな、これ。
尚、本日の書き込みは、『魔法少女まどかマギカ』というアニメをご存じない方には、何が何だかさっぱり、な話かと。

先週の金曜日、友人に誘われて映画を観てきた。
『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』というアニメ。
──正直に言うと、ワタクシ、件の作品を観に行くまで、まどかマギカというアニメのことは、まどマギ、というタイトルと、魔法少女もの作品、ということしか知らなかった。
内容も知らなかったし、何時、何処の局で放送していたかも知らなかったし、主人公が誰でー、とか、どんな絵でー、とかも知らなかった。
但、別所にも書いたけども、ワタクシ、B級〜Z級映画スキーな所為か、映画に関しては激しく打たれ強く、ハードルも低いので、何も知らなくともLet's Tryが出来る訳で。

──本題。
劇場版まどかマギカ。
一言で言えば、えげつない話だった。
何も知らなかったワタクシにしてみれば、魔法少女達を主人公とするアニメとしては有り得ない、ダークにも程がある話。
──途中までは、往年の名作アニメ『劇場版うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』をなぞっているのかと思った。
けども、その手の路線からも外れていって、最終的には、狂気な話になった。
色々がイッてて、このアニメの制作者さん達は、脳内異次元かも知れない、とも思ったけども。
あの話は、狂気に見せ掛けた、正気の話なんだろうなあ、と。
人間は綺麗か汚いか、とか、醜いか醜くないか、とかいう次元の話でもなく、こう……諸々を、有りのまま引ん剥くとこうなる、みたいな?
……兎に角、興味は湧いたし、個人的には面白かった。

んで以て、その二日後、テレビ編のまどか☆マギカを、第一話〜最終話まで、ぶっ通しで見てみた。
結果、あの話の登場人物の一人で、諸悪の根源と見做されても何ら不思議ではない、寧ろ、諸悪の根源はお前、と指差したくなる、狐もどきのような、猫もどきのような、見た目だけはラブリーなエイリアンが気に入った。
中々、興味深い、あのエイリアン。
捩じ切りたい、という人もいるみたいだけど、あの存在は決して悪ではないし、エイリアンな彼の立場からしてみれば、間違ったことも言っていない。
人間にとっては、許せないし納得出来ないし、理解も及ばないことを言ったりしたりしているけれども、エイリアンな彼も、人間の言っていることが理解不能だから、要は、永遠の平行線というだけの話で。
その平行線が作中の悲劇を生んだのだし、異なる知的文明体間の永遠の平行線を齎したのは、件のエイリアン自身、とは思うけどね。
……って、ああ、うん、あれだ。
ここまで書いて気付いた。
魔法少女まどかマギカって、「人間は感情の動物」という話なんだな。
良かった、腑に落ちた。
 

0:02

狂言

九月の十五日〜十七日と、二十日の計四日間に渡り、国立能楽堂にて、国立能楽堂開場三十周年記念公演が行われていたので、チケット争奪戦に参加して、鑑賞に行って来た。
本当は、『翁』とか『楊貴妃』とかが上演予定だった初日のチケットもゲットしたかったんだけど、それは、「十分前くらいに、チケットのインターネット販売始まったばっかだよね!?」という塩梅で早々に負けを喫してしまい、何とか取れたのは、二十日のAll狂言の日だけだったんだけども、こっちも観たかったから、取れただけラッキーなんだろう、多分。

上にも書いた通り、私が観劇行った日は、All狂言で、演目は、『夷大黒』、『通円』、『八尾』、『祐善』、『老武者』の五つ。
有名処では、野村萬斎さんが出演されてた。
──学生時代、国文科に所属していたが為、授業の一環と言うか、学部の強制行事と言うかで、問答無用で「能楽鑑賞!」とヤラれて以来、能楽を観る為に能楽堂に足を運んだことはなく(別件ではある)、ごろ寝しながらテレビでお能鑑賞、ってなことしかして来なかったけども。
以前にもここに書いた通り、ここ数年、何でか無性にお能が観たいの! な気分で、故に、いそいそ参加してきた。
ここ最近の毎度の如く、友人に巻き添え喰らわせて。

大きく括れば能楽の一種になる狂言は、喜劇のみで一ジャンルが確立されている、世界でも希有な演劇だそうで。
……うん、でも、まあ、要は、現代風に言えばコントよね。
能楽だー、狂言だー、なんて言うと、「そういうのは一寸……」と敬遠される方も少なくはなかろうけれど、狂言が狂言として定着した室町時代から今日まで変わることなく伝わってる、大昔のお笑い芸能だと思えば、どうと言うことはないと思う。
当時の人と現代人とでは、笑いのツボみたいなのが(多分)変わってしまっているから、 「ん? 何処で笑うんだ?」ってなっちゃう部分があるのは否めないだろうけども。
自発的に、改めて能楽堂まで足運んで狂言見てみた結果、演目によっては激しく目出たいし、可愛いし(大黒天のおケツが可愛かったのよ。ぴょこぴょこしてんの、大黒様のおケツ)、とってもとっても様式美に則った、ドリフターズのコントに通ずる何かがあるコメディ、とか思ったしねん。
一作品に付き、大体、三十分から一時間未満で終わるので、そういう意味でもコンパクトだから、お気軽だし。
うん、楽しい楽しい。凄く楽しい。
多分、又行くと思われる(笑)。
……あ、そうそう。そう言えば、気持ち良く爆睡されている人を幾人も見掛けた(笑)。
古典芸能観てると眠くなる気持ちは判るけどね。
台詞の抑揚が、例え悪いけど、心電図みたいなリズムだったりするし、特にお能や狂言なんかは、好き嫌いに拘らず、観る側も、或る程度場数踏まないと、呆気なく睡魔との戦いに負ける演劇だとは思うよ(笑)。

それはそうと。
武道の世界で精進しておられる方々もそうだけども、歌舞伎やお能や狂言みたいな、伝統芸能の世界を受け継いでおられる方々は、皆さん、日本的に大変姿勢が正しくて、年若い方が腰の曲がった老人の役を演じられても、背筋は通ってるし、一挙手一投足、とても綺麗で。
あの世界に生きてる方々は、あの姿勢を維持する為に&それを保つ為の身体を持ち続ける為に、どれだけ筋肉付けてるんだろうか、ってなことに、鑑賞中、思わず思い馳せてみた。
絶対に、相応の綺麗な筋肉の付いた良い体してると思うんだ、皆さん。
んで以て、どうして能舞台は、あんな形なんだろうか、ってなことにも、やはり鑑賞中に思い馳せてみた。
元々は野外に造られていたものだから、壁がなけりゃ幕も無い、ってのは理解出来るし、舞台の四方を柱が囲んでる──ぶっちゃけ、邪魔な物が立ってる──のは、日本人の美意識の中にはチラリズムってのがあるからだ、見え隠れするのがいいんだよ! ってことだそうなんだけども。
何で、あの形──舞台の正面と、客席から舞台を観た際の左側──脇正面や中正面にしか客席が設けられていないのかが判らん。
 

1:40

通し狂言 伊賀越道中双六/そして、オリンピック開催決定はめでたい

二〇二〇年開催予定のオリンピック開催地が、東京に決まりましたな。
めでたい。
流石に産まれていないので、家族なんかから聞いたことしか知らないけれど、一九六四年(昭和三十九年)十月に開催された、第十八回夏季オリンピック東京大会の開会式は、とても見事だったそうな。
東洋の魔女な彼女達やアベベや円谷さんや、あ、後、男子体操団体も活躍したっけね。
「前畑頑張れ」……は、あれはベルリンオリンピックか。
──何はともあれ、七年後、夏季オリンピックが東京で開催されると決まったのだから、無事成功して欲しいし、日本は固より、世界各国の選手の皆さんには頑張って欲しいし、オリンピックを観戦するべく異国から我が国へと足を運ばれる皆さんには、日本を楽しんで、良い思い出を抱えてから帰国して欲しいと思うよ。

昭和三十九年、アジア初の、そして史上初の有色人種国家にてのオリンピックが東京で開催されると決まって後、東京都内の環状線が整備され、首都高速が出来、新幹線が開通し、東京モノレールも出来て、羽田空港が開港した。
国立競技場も日本武道館も出来た。
善し悪しは兎も角、東京が今現在の姿となったのは、オリンピックがやって来たから。
太平洋戦争の終戦から、僅か十九年と二ヶ月で以て、世界各地の人々を迎えることになった我が国の威信が、東京オリンピックには掛かっていた。

オリンピックや万国博覧会やサッカーのワールドカップのような世界規模の祭典は、様々な物を置き去りにする。
その代わりに、と言うのは何だけれども、同じく様々な物を生み残す。様々なことが加速もする。
──二〇二〇年には、東日本大震災の発生から九年目を迎える。
あれから九年経った日本は、東北地方は、バッチリ復興したんですよ、と胸を張れるように頑張らないとね。
そうでなかったら、オリンピックの意味ないしね。
そりゃそうと、市川崑監督の映画『東京オリンピック』。あれを、お若い方々に、是非観て頂きたい。


閑話休題。
土曜、再び、現在国立劇場の小劇場で公演中の、人形浄瑠璃を鑑賞してきた。
演目は、通し狂言『伊賀越道中双六』。
全編通して演じられるのは、東京では十五年振りのことだそうな。
全部の段を上演すると、約九時間掛かるという大作で、午前開演の第一部と午後開演の第二部を通して観て初めて、物語全部観られたってことになるんだけども、ワタクシは、第一部のチケット取れなくて、第二部の、お話の途中からしか見られなかったけど。

『伊賀越道中双六』は、江戸時代前期、寛永十一年に実際に起こった日本三大敵討ちの一つ、剣豪・荒木又右衛門(が助太刀した)『伊賀上野・鍵屋の辻の決闘』、あれを基にした話。
因みに、残り二つは、赤穂浪士の討ち入り@所謂忠臣蔵と、曽我兄弟の仇討ち。
登場人物達は実在の人達とは名前変えてあるし、事件が起こったのも、寛永の頃でなく室町時代ってことになってる。
多分、赤穂浪士の討ち入りが話の基になっていると誰の目にも明らかなのに、「これは創作!」と言い張る&お上に言い訳する為に、登場人物達の名前やら何やらを変えたりして作られた『仮名手本忠臣蔵』 と同じ理由故なんじゃないかと。
ワタクシは、仇討ちものが好きで、敵討ち話ってのは、日本人には能く解せる情と忠義の世界のお話、と固く信じているので、いそいそと行って来たよ。
友人に巻き添え喰らわして(笑)。
間抜けなことに、チケット取ってから気付いたのだけど、単に、土曜日だからとだけ思ってワタクシが押さえたのは公演初日の席で、その事実に気付いてから数日、えっらいこと悩んだ。
……ええ、何を着て行くかで。正しくは、どの着物を着て行くかで。
…………だってさー、この時期は激しく微妙なのよ、紙の上の暦にだけ倣うなら、もう九月だから単衣の着物でなきゃ駄目なんだけども、今日日、九月上旬の東京で昔ながらのお約束に倣った日にゃ、暑くて死ぬ!(握り拳)
でもねぇ、国立劇場での古典芸能の公演だし、挙げ句初日だし……、と思って、暑さには、気合いと根性で挑むことにし、結局、単衣で行った。
……暑かったよ。ああ、暑かったとも!!
五月の下旬に行った時も単衣だったから、同じ着物で行くのはイヤンで、一寸、若々しい柄のになっちゃったけど(だってやっぱり、叔母上から強奪した奴だから)、ま、いいか。
今更気にした処で後の祭り(笑)。

──んで。
ちょーーーーー……っと睡眠不足のまま参加することになっちゃったので、途中、二、三度程、意識が涅槃を探し掛けたけども、ワタクシは頑張った(再びの握り拳)。
長丁場だった故に、やはり途中、おケツが猛烈に痛くなったけど、それも頑張った。おケツ痛い……、とモジモジしながら頑張った(笑)。
前回の教訓を踏まえ、オペラグラス持参で参加して、使ってもみたけど……、うん、まあ、部分部分で使うにはいいかな、な感じだったかなー。
オペラグラス越しに見ると、どうしても、舞台全体は見られないので、善し悪しって処かな。
文楽人形の細かい動作まで追いたいなら、何とかしてチケット争奪戦に勝利し、前の方の席をゲットするしかないかも知れない。
何処までも&くどいようだけれど、話の途中からだったってのが個人的に&今でも哀愁なんだけど、やっぱり面白かった。
前回は、ひたすら感心するだけで終わっちゃった部分もなきにしもあらずで、でも今回は、もっと細かく感心する余裕があったかな(笑)。
本当に、細かい所まで良く出来ているし、能く考えられている、と改めて思えたし。
そんなこんなな所為なのか、演者の皆さんが素晴らしいからから、見てる内に、段々、人形使いの方々や黒子さん達の存在が、無色透明化してくるんだよね。
お人形が自力で動いてる、みたいな錯覚に陥る瞬間がある。
……うん、面白い、人形浄瑠璃。
尚、巻き添え喰らわした友人が、「貴方が、前回文楽観た後、日本人は変態だと言っていたのが能く判った」と言ったので、今宵も、ワタクシは友人の発言思い出す度にしたり顔してる(笑)。
本当に、良い意味で変態だと思うよ、日本人。
 

1:06

池波正太郎展&アートアクアリウム展


ワタクシが、未だ真実お子様だった頃、テレビで放映されていた時代劇の大半は、勧善懲悪なチャンバラ時代劇だった。
例えば、必殺仕事人シリーズみたいなのも放送してはいたけれど、昔は、あの手合いのドラマは「子供は観ちゃ駄目!」なものだったから、悪く言ってしまえば当たり障りのない時代劇ばかりを目にする機会の方が圧倒的だった。
尤も、ワタクシが、「世の中、正義ばかりがまかり通る訳ではない」というのを初めて疑似体験したのは、お子様時代に見た、と或る時代劇だったけどもね。
──と、まあ、そんなこんなな所為もあり、本当に掛け値無しにお子様だった所為もあり、昔は、所謂処のチャンバラでない、義理人情の世界や人生模様や、大人の粋で描かれている時代劇を観てもピンと来なかったし、時代小説という奴にも余り興味を示さなかったのだけれども、それなりに長じた頃、何かの拍子に鬼平犯科帳のドラマを見て以来、池波正太郎さん原作の時代劇を能く観るようになって、小説も読むようになった。
以来、池波正太郎作品の秘かなファン。
薄いファンだけど。
因みに、今でもチャンバラは大好きですとも、ええ。
特に、殺陣が美しい時代劇は好物ですとも。
最近の役者さんは、殺陣の際に腰が入ってなくてご不満。
足じゃなくて腰で進もうよ。腕じゃなくて体で得物を振ろうよ。体の芯がブレてはアカン。

──えーと。
という訳で。
九月九日の重陽のお節句の日まで銀座の松屋さんで開かれている、『生誕九十年 池波正太郎展』を観に行ってきた。
何で見掛けたんだったかは失念してしまったけれど、先週、何かでこの催しのことを知って、「これは行かなくては……!」と握り拳固めて一人特攻。

池波さんが未だ世に出られる以前に書かれた物や、尋常小学校時代の成績表なんかも展示されていたし、鬼平や剣客商売や藤枝梅安の直筆原稿なんかも飾られていた。
直筆の物は、正直、「読めない……」な物も多かったけども、刊行されたのを読んでいるからか、上記三作品の直筆原稿は普通に読めた。
生原稿……! とか思って、一寸感動した。
ドラマのセットを再現したブースや、小道具や衣装が飾れていたブースもあったし、書斎を再現したブースもあったっけ。
こう……、何と言えばいいか、語弊かもだけど、小説家と言うよりは、物書きって言葉を持ってきたくなるような、そんな書斎だったなー……(しみじみ)。
って、そりゃそうと、池波先生って、本当にお洒落な方だったのね。
その辺にもしみじみした。


んで以て。
『池波正太郎展』を堪能した後、ちょいとばかり移動して、日本橋で友人と待ち合わせ、今年もCOREDO日本橋で開かれている『アートアクアリウム展』に行った。
アートな感じの水槽その他に、沢山のきんとと泳がせて、アートに演出もしてみたよ、ってアレ。
今年のテーマの一つ? だかは、着物? みたいで(←能く判ってない)、 衝立式の衣桁に掛けた着物と同じ形の水槽(だと思う。もしかしたら、見た目がそんな風になってただけで、水槽その物の形は違ったのかも知れない)に泳ぐ金魚達、みたいなのもあった。
そんな風な展示をされてる金魚達に魅入る前に、その左右に飾られていた金魚柄の着物をガン見してしまっていたのは、ここだけの話。
……だって、凝ったお着物だったんだもん……。金魚の刺繍とか、良かったんだもん……。辻が花の奴も良かったんだもん…………。

一等大きな水槽には、大奥って命名されてて、「あーーー、言いたいこと判る」な感じだったかな(笑)。
──うん、今年もきんととは綺麗だった。
愛嬌あるし、愛くるしい。金魚可愛い。
 
尚。
きんととを堪能した後は、友人と中華食らった。
美味しかった。うへへ♪
明日は未だ金曜だから、余り呑めなかったのが残念だ。
 

0:17

煙草盆

先月下旬、実家に帰省した際、一寸所用で、手芸品や雑貨なんかと共に、骨董品も置かれている店に立ち寄った。
骨董ったって、「うん、紛うことなく骨董品!」って感じの物から、「ガラクタ……?」な感じの物まで入り乱れていた、雑多な感じのラインナップだったけども、兎に角、そんな店の陳列棚を冷やかし、いそいそ話し掛けて来た、ご隠居さんらしきおじいちゃんのセールストークには鉄壁の愛想笑いで対抗し、はっきり言って、ガラクタと例えた方が宜しい煙草盆を二つゲットした。
安かったよ! 双方共に千円だったよ!(笑)

本来は、煙管で煙草を呑む際に使う物な煙草盆──現代では灰皿とライターのセットに該当するあれをゲットした理由は、本来の使用目的通り、灰皿にしようと思ったから。
……すみません、ワタクシも家人も、喫煙という悪習慣の持ち主です。
────とは言え、流石にワタクシも煙管で煙草を呑むことはないので、火入れの鉢(←昔のライターみたいなもん。火鉢みたいに灰と、火を熾した小さな炭を入れて、煙草に火を点ける際の火種として使う物)に灰だけ入れて、火入れその物を灰皿にしちゃえー、と考えてのことで。
こっち帰って来てから、実際にそうやって使ってみたけれど、やはり、どうにも見栄えが宜しくないと言うか、火入れの中の木灰が、煙草の灰で汚れて始末が大変、ということに遅ればせながら気付き、ワタクシが買った煙草盆には付いてなかった灰吹(←昔の灰皿。見た目は単なる竹筒)も追加ゲットしたんだけど。
今日日、煙草盆なんて物は、茶道と関わりでも持たぬ限り、時代劇の中でお目に掛る程度の品と化してしまったので、茶道具屋まで、わざわざ足を運ぶことになってしまった。
……やっぱり、絶滅に瀕しているのね、煙草盆も。
まあ、喫煙という習慣は、どうしたって褒められたものじゃなかろうけれども、品そのものは、風情があっていいと思うんだけどなあ。
一寸したインテリアとして使ってもいいと思うし、火入れにお香落として、香炉代わりに使うのもありだと思うんだけど。
茶事には必要な物だから、この世から消えてなくなることはなかろうけど、勿体無いと言うか、寂しいと言うか。
ちょっぴり、そんな感じ。