0:55

夢の中の本の話

9/15は、『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』の発売日だったので、ほぼ電気屋さんの開店と同時にソフトとWiiをゲットしたワタクシは、ぶっ通しでゲーム馬鹿になっていたので、流石に少し眠い。

夜(蛇足ながら私の場合は昼間)、寝ている時に見る夢の中に、本が登場しても、大抵の場合、中身を読むことが出来ない、って話を聞いたことがある。
表紙や裏表紙はちゃんと体裁が整ってても、本文部分が支離滅裂だったり、謎な漢字が羅列されていたりして、何が何やら、な形で登場するんだとか。
夢という現象の中で、文章、又は、物語等々を、ちゃんとした文章や物語として成立させることが脳に出来ないから、って理由だとか。
本当かどうか、私は知らない。
唯、そういう話を聞いたことがある、ってだけ。

んで。
先日、夢の中に、その『文章』が出てきた。
本ではなく、誰かの資料みたいな書面だったけれど。
──その夢を見ていた時は、夢を見ていると認識していた訳じゃないけれど、ワタクシは、明晰夢──自分は今夢を見ている、と夢の中で自覚しつつ見るアレ──を、かなり良く見るので、目を通してみた書面の中の文章が、「何処の言葉……?」なノリだと気付いた瞬間、「夢か。だとするなら……」と、その謎な文章を、ちゃんとした文章に直せるかどうか試してみようと思わず実行してみた。
頑張ってみた結果、二、三行くらいは、ちゃんとした日本語になったかな。
どんなことが書かれたのかまでは憶えてないけど。
だから、今度夢の中で本や文章を見掛けたら、訳判らん代物として登場しても、最終的にはきっちり最初から最後まで読めるものに仕立ててやる、と意気込んでるんだけど、一説に、それはそれで(精神的な意味で)余り宜しくない、って聞いたのよね。
実際の処、どうなのかしら。
どうせなら、ばっちり読めた方が楽しいだろうし、更には、それが見たことも聞いたこともないお話だったら最高だと思うんだけどな。
 

0 コメント:

コメントを投稿