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こっそりと暑苦しく語る

気が付けば、もう四月も中旬。
開幕カードでスイープ喰らって、ワタクシのNYYの今年のシーズン開幕は何時なの……? と泣き濡れていたけれど、それも、何とかかんとか勝率タイには持ち込めて、おおー、とか言ってる内に、もう中旬。
因みに、一週目の週末は、隅田公園にお花見に行っていた。
丁度満開となったばかりで、それはもう桜が綺麗だった。
二週目の週末は、六本木にある『ルイーダの酒場』に行っていた。
ドラクエシリーズ好きな方には説明する必要もないだろうお店。
正直、所謂企画ものだから、そんなには期待出来ないかな、とも思ってたけど、想像よりも頑張ってて、一寸嬉しかった。
ドラクエシリーズ好きさんは、一度は訪れてもいいかも。

────で。
友達とルイーダの酒場まで行っちゃったのと、去年の秋に、Nintendo Wiiにロトシリーズが移植されて以来、秘かに高いドラクエ熱が相俟ってしまったので、こっそりと、しかし暑苦しく、ワタクシが、何故(なにゆえ)にゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの中の、ロト三部作を愛しているのかを綴る。
てか、綴らせて。

ワタクシにとって、ロトシリーズ(てか、ドラクエシリーズ)は、一言で言ってしまえば「お伽噺」だったりする。
伝説の勇者が、攫われたお姫様を助けたり、竜王や大魔王と戦って、倒して、世界には平和がもたらされました、っていう、「細かい所に突っ込んじゃならない! それのみを受け入れるのだ!」ってな「お伽噺」。
何処にも突っ込まないのが大前提として存在するような類いのRPGの中では、王道中の王道を行く英雄譚だとも思ってる。
でも。
ロト三部作は、或る側面から見れば、呪いの話だとも思ってる。
勇者ロト(三作目主人公)から、ロトの勇者(一作目主人公)を経て、ロトの末裔(二作目主人公)達に至るまでの数百年に亘り、あの世界の神々や精霊ルビスよりの、「本来なら絶対に人には倒せぬ存在である筈の大魔王や竜王や破壊神を、それでも倒さなくてはならない」という、運命や宿命という名の呪いを受けた、ロト一族の物語なんだろうな、と。
……マジで、あれはロト一族の血に掛けられた呪いの話だと思う。
勇者オルデガの子供だからというだけで、十六歳で故郷から旅立たされて、魔王退治に勤しまなきゃならなかった勇者ロトも、そんなロトの血を引いてるからってだけで、攫われた姫さん助けて来い、出来れば竜王も倒して来い、って放り出されたロトの勇者も、そんな一族の末裔だからって、王子・王女な身分だってのに、破壊神まで倒す羽目になったロトの末裔達も、呪われてるとしか思えない(真顔)。
大魔王や竜王や破壊神ってのは、人の身には本来倒せぬ筈の存在で、故に、彼等は大魔王であり竜王であり破壊神である訳で、だからこそ、英雄譚は英雄譚として、お伽噺はお伽噺として成り立ち、愛や勇気や正義や人の想いは、絶対の魔にも打ち勝つ、という図式が成立するのは判っているけれども。
やはり見方を変えれば、勇者の子だから、勇者の血を引くから、勇者の末裔だから、というだけで、絶対の魔であり悪である、人の身には倒せぬ筈の存在を倒す、という運命や宿命を背負わされるというのは、1〜3の主人公達に、人であることを捨て、人以外のモノになる道を自ら選びなさい、と命じているに他ならない。……とワタクシは思う。
人には倒せぬモノを討ち滅ぼす為に、人でありながら人であることを自ら捨てるというのは、不幸以外の何物でもない。と、やはりワタクシは感じる。

という訳で。
突っ込み一切禁止な英雄譚であり、お伽噺であり、されど、余りにも哀しい呪われた一族の話でもある筈、と思えるから、ワタクシはロトシリーズが好き。
少しは自分達一族の血を嘆け、君達は、神やルビスに文句言っても罰当たらない、と言いたいワタクシを尻目に、そんなこと一切気にせず頑張っちゃう主人公達も好き。
色々が試行錯誤だっただろう、家庭用テレビゲームの創成期に登場したRPGとして、プレイしてると、純粋にわくわくするしねー。
あの、一緒に冒険してるの! な感じが堪らないのよねー(しみじみ)。
「(恐らくは容量の問題で)こっから先は、プレイヤー自身で想像して頂戴ね」ってなノリが漂う部分も多いから、色んな想像掻き立てられるしねー。
 
…………あー、もう一寸して、色々諸々片付いたら、もっかいプレイしよう、ロトシリーズ(決意)。

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