本当は、もっと早くに書こうかと思っていたことで、今年の四月ももう間もなく終わりそうな今となっては、遅きに失した感が無きにしもあらずだけれども。
放射線が発見されたのは、今から百二十年くらい前のことなんだそうだ。
その僅か五十年後、アメリカのニューメキシコ州ロスアラモスで、世界初の原爆実験が行われた後、ロバート・オッペンハイマー博士は、「我は死なり。全ての世界の破壊者なり」と、古代インドの教典の一節を呟いたと言われている。
そして、そんな逸話を持つ、有史初の原爆実験が行われて一ヶ月と経たない内に、広島にはリトル・ボーイが、長崎にはファット・マンが、それぞれ投下された。
十九世紀末、人の目には見えない謎のビームが見付かってより、五十年後の第二次世界大戦末期当時、原子力は、世界にとって、とても恐ろしい強大な力だったんだと思う。
けれども。
今日から約半世紀前のあの頃、それは、爆発的な破壊の力を生む「だけ」の物だったのだとも思う。
戦争が終わって数年が経った頃、破壊の力を生むだけだった物は、恐らくは少しずつ有り様を変え、昭和二十六年、故・手塚治虫先生は、原子力で動く10万馬力のロボットヒーロー、アトムをこの世に生んだ。
……これは、身を以て当時を知らない私の勝手な想像だけれども、鉄腕アトムと原子力、この二つは、あの頃の子供達にとって、あの頃の日本にとって、「未来」だったんだと思う。
戦後の焼け野原の中から立ち上がった日本が辿るかもしれない未来の一つの形、そのものだったんだと思う。
アトム達の世界が、あの頃は未だ遠かった21世紀──未来だったように、原子力は、未来を象徴する夢のエネルギーだったんだと思う。
単なる破壊の力以外の恐ろしさをも備え持つ物、という側面を、何処かに置き去りにしたまま。
それより、又半世紀が経って、アトムの誕生日とされた2003年4月7日も未来でなく過去になった。
原子力も、未来の夢のエネルギーではなくなった。
が、例え、未来の夢のエネルギーではなくなっても、戦後の焼け野原の中で多くの人々が夢見ただろう、豊かで、当時から鑑みれば未来的な今の生活の一翼を、原子力が担っているのは確かなんだろう。
恐らく、だけれども。
どれ程に律しても、私達は、原子力のもたらす恩恵を知らなかった頃には戻り切れないんだろう。
その是非は兎も角、現実問題として、今直ぐ、全ての原子力発電所を停止させることは不可能なんだろう。
そういう意味では、今という時代を辿り続けるこの国に、その力は必要なんだろう。
それが、良いのか悪いのかは別にして。
──今は未だ、人々と、人々のこの生活にとって、原子力は必要不可欠だけれど。
今直ぐ、原子力と手を切ることは出来ないけれど。
何時の日か、原子力に別れを告げる、若しくは、原子力の負の側面を恐れずに済む時が来るかも知れない。
21世紀を生きる私達にも、半世紀前の人々が、鉄腕アトムに、原子力エネルギーに、未来を夢見たように、新しい未来を夢見ることが出来るかも知れない。
今は叶わなくとも、未来のエネルギーではなくなった原子力に別れを告げて、未来の夢のエネルギーを手に出来る日を迎えられるかも知れない。
恐ろしさをも併せ持つ力でなく、この星全てに優しい、それこそ、夢のような。
現在(いま)は、何とかして原子力との共存を図らなくてはならない段階にいるのだろうけれど。
ジュール・ヴェルヌは、「人が創造することは、必ず人に実現出来る」と言った。
だとするなら、そんな夢の世界も、きっと何時の日にかは実現出来る。
隙間を縫うように
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ラベル: 日々のこと
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