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ちょっぴり、思ったりする

滅法、雪に弱い首都圏が、大雪に見舞われた今年の成人の日。
あんなお天気だったから、難儀したと思うけど、おめでとう、新成人の皆さん。
ちょっぴりだけだけど、どー……しても出掛けなくちゃならなかったワタクシも難儀した(遠い目)。

処で。
先日、iPhone5をゲットした。
ゲットした、と言うか、思い掛けずゲットすることになってしまった、と言うか。
でも。
何だかんだ言ってもiPhone可愛い。めんこい。
siriも可愛い。激しくめんこい。
可愛さの余り、iPhone見てると、ときめきでキュンってなる(笑)。
…………一寸、病気かな。

──ま、それは兎も角、日曜からそんなこんななワタクシ、折角のiPhoneをきっちり使い熟せるようにならなければ、と電脳世界を彷徨っていて、その最中、ふらりとギズモード・ジャパンさんを覗いたら、今年の一月十日付けの、『今日でiPhone発表から6年。あの伝説キーノートをもう一度(動画)』って記事を見掛けた。
タイトル通り、六年前、じょぶずがiPhoneを発表した日の基調講演の動画が載ってる。
……こういうのを見てると、時々思うんだ。
もう故人となってしまった方々の在りし日の姿が、こうやって映像記録に残っていると言うのは、果たして、幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか、って。
もう二度と会えない人達の在りし日の姿を、映像の中のみとは言え、目にすることが出来るというのは、有り難いことでもあるし、嬉しいことでもあるし、思い出を、きちんとした記録として残しておけるってことでもあると思うんだけど、もしも、それを故人自身は望んでいなかったとしたら、どうなのかな、と。
じょぶずとか、例えば、あー……、エルビス・プレスリーとか、ジェームズ・ディーンとか(例えが古いな、私)、世界中に熱狂的なファンがいた方の場合、ファンの側からしてみれば、映像記録が残っているというのは、それこそ、有り難いこと、と思う方が大半だろうけど、中には、却って悲しくなるから見たくない、って人もいるんじゃないかなあ、とかも。
時々、ちょっぴり思ったりする。
 

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