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『バガヴァット・ギーター』

何となく気が向いたので、『バガヴァッド・ギーター』を読み返した。
ヒンドゥー教の聖典な叙事詩『マハーバーラタ』の一節で、18編の詩(なのか?)から構成されてる詩編。
バガヴァッド・ギーターだけでは、長ーーーーいマハーバーラタの一部を、前後の繋がりぶった切ってピックアップ、って形になるからか、ワタクシの持っている本には前書きとして、マハーバーラタの粗筋的な物が載っているのだけれど、ワタクシは、何度読んでも、古代インドの神話に登場する神様の名前や、数多の王様達等々の名前や血筋的関係が覚えられない。
これ誰だっけ? とか、えーと、誰が誰の息子だって? とかってなっちゃうのよねぇ……。
まあ、神話だの聖典だのというのは、大抵そんなものだけれども(←半ば負け惜しみ)。
日本神話だって、古事記や日本書紀に出て来る八百万の神様達の名前、全部覚え切れないもの。
だから、いいんだ、うん。

バガヴァッド・ギーターは、和訳すれば「神の詩(うた)」という意味で、クリシュナとアルジュナという王子さんの問答を綴ったものなのだけど、クリシュナは、ヒンドゥー教の最高神の一人・ヴィシュヌの生まれ変わりってぇか八番目の姿ってぇか、兎に角、クリシュナ=ヴィシュヌで、ヴィシュヌ神がクリシュナの次に人の形を取ったのが、ゴータマ・シッダールタ=お釈迦様ってことにもなってて──ああ、もう既に訳判らない──、要するに、そんな風な偉大な神様が、これから親族同士の一大決戦が始まるぜ! って直前に、決戦に挑もうかどうしようか悩んでる王子さんを捕まえて、「だから戦いやがれ」と懇々と説く物語だったりする。
……神話というのは、ある側面から見れば、大変好戦的だわね。
北欧神話とか、激しく好戦的だと思うけども、ヒンドゥー教の神様も好戦的よね。
…………って、話逸れた。
──こんな風に言うと叱られちゃうかも知れないけど、王子さんを説き伏せてるのは神様なので、何を説くにしても神様故の上から目線の説法だけれども(笑)、ヴィシュヌの神様が説いていることは、至極当然と言えば当然のことも少なくなくて、故に時々、読み返す。
己の為す行いに、(見返りという名の)期待をするべきではない、とか。
程良く食べて、程良く寝て、程良く働き、程良く楽しむのが良く、食べ過ぎることも食べないことも、寝過ぎることも寝ないことも、働き過ぎることも働かないことも、楽しみ過ぎることも楽しまないことも良くない、とか、ヴィシュヌの神様は言っている訳なのよ。
この辺なんか、言われなくても、ってことだったりするけど、時々、そういうこと忘れ去っちゃうのよね。

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